狩猟免許への道(想い編)

2021年11月26日狩猟,狩猟免許(国家資格)を取るまでの道

2021年の今年、狩猟免許をとる予定だったんですが、
めちゃくちゃ可愛がっていた実家の犬が死んでしまったこともあって、
今年の狩猟免許は見送ることにしました。(喪に服してました)
2022年来年は、いよいよ狩猟免許をとろうと動いていきます。

アキアジ釣りで知床に行くことがあるので、今年はヒグマの勉強していました。
知らなかったことたくさんあるのですが、一番ビックリした知らなかったことはこれ。

『鮭の味を知ったヒグマしか、鮭は食べない。』

実はほとんど多くのヒグマは、鮭を食べるチャンスがない。
知床などの限られた地域のヒグマが、河口に現れて鮭を食べてる。

人のすむ町に現れるヒグマも、
「ここにあるものは食べれる!」と知ってしまったから現れるようになる。
いっしょのことで、猿やたぬき、きつね、しかも、みんなこの原理。

知らんかったら、現れん。

ぼくも『鮭の味を知ったヒグマしか、鮭は食べない。』ってことを知るまでは、

「なんで危険を冒してまで人のところに来てしまうんやろう」
と思ってました。

でも、今は「そりゃ〜あるんやから、美味しかったら来るよね〜」って思ってます。
にんげんと違って動物はあんまりリスクヘッジできませんからね。
(いや、もしかしたらリスクヘッジをした結果、来てる可能性もある。。。)

そんなことを学んだ2021年。2022年の狩猟免許に向けて今の想いを書いておこうと思います。
たいして、役立たないかもですが、よかったら読んでくださいね。

ぼくが狩猟免許を取ろうと思ったのは、
「スーパーのお肉を作ってくれてる人がいる!」でした。

スーパーにお肉があるのは当たり前になったこの世界。
本当はぼくらの代わりに、牛や豚、鳥、羊、さかなを殺してくれてる人がいます。
そして、釣りをはじめて、野菜も同じだと思うようになりました。

トマトを茎からぶちっととって、「わ〜〜い!かわいいトマトとれた〜!ガブリ!」
ってやっているけど、トマトを殺したことには違いない。
(植物の場合は、タネがあるので、そのあと子孫繁栄できる可能性はあるけどね)

殺すと書くと、イメージ的に残酷に伝わるかもですが、
言い方を変えたところでやることはいっしょです。

そこから、ぼくはじぶんで釣った魚を絞めて食べるまでを経験したくて、釣りをはじめました。
その流れと同じく、お肉も経験しようと思うんです。

スーパーに行くとそのことを忘れがちです。
100gの値段ばかり気にして。。。(ぼくは毎回気にしてます。)
本当は、いのちをいただくことは、そんな値段で買えるもんじゃないと思う。

だからこそ、大事にいのちをいただくことをしっかり持っておきたいと思う。
スーパーのお肉も、狩猟でとったお肉も。

狩猟免許をとったあとの目標はこんな感じです。

近隣農家さんが迷惑がってるところに行って、わな狩猟をする。

獲った動物は、じぶんで屠殺場にさばき、基本食べる。
(食べれないものは、基本的に法律にのっとって処理する。)

食べきれないものは、販売可能な場合は販売する。または欲しい人にあげる。

動物が山でごはんに困らないように植林活動合わせてやる。
(販売したお肉の売上で植樹用の木を買ったり、山の環境整備をする。)

そんなイメージでいます。

まずは、狩猟免許からですね。
これも知らなかっただけど、国家資格なのですよ。狩猟免許って。